ヒップホップが生まれた背景には、貧困、暴力、抗争、ドラッグといった過酷な黒人たちの生活がありました。命の危険と隣り合わせの日々の中で、彼らが搾り出すように紡いできた文化。
それを、歴史もろくに知らないまま「なんかカッコいいから」と表面だけ抽出して、甘い蜜を吸っているのが僕たち日本人だと思います。
かくいう僕も紛れもなくその一員です。文化とはそういうものだから仕方ない部分もあります。輸出された文化がローカライズされ、独自の発展を遂げるのはどこの国でも起きてきたことですから。
ただ、だからこそ僕たちは、この「安全圏」である日本でヒップホップという文化に触れられていることに、もっと感謝すべきだと思うのです。
日本人の幸福度が低いのはおかしい

日本人はどこか平和ボケしていると思います。
「生きがいがない」
「将来が不安でしかない」
そんな声をよく耳にします。でも、その”不安”の内容をよく見てみてほしいのです。多くの場合それは「今日、明日を生き延びられるか」という話ではないはずです。
世界にはまだ、その日その日を生き延びることそのものが最大の関心事である人たちがたくさんいます。貧困と闘っている国や地域は山ほどあります。
日本も決して裕福とは言えないかもしれませんが、少なくとも生活はほぼ保障されています。
長生きできることが当たり前という前提の上で、「じゃあその人生をどう充実させるか」で悩んでいる。それがこの国の悩みのベクトルなんだと思います。
暇だからSNSを開き、流れてくる美男美女を見て勝手に劣等感を抱く。金持ちアピールの投稿を見て嫉妬する。でも、他人と比較している時点で、人はいつまで経っても幸せにはなれません。
そろそろ気づくべきです。自分自身が今日、明日の生命の危機にさらされることなく生活できる——それがどれほどありがたいことなのかということに。
洒落たSNS映えする料理の写真がうまく撮れなくて落ち込む人もいます。でも、それ以前に「目の前に食べ物がある」ということ自体への感謝を、僕たちは忘れてしまっているのではないでしょうか。
考えてみれば、僕たちが日常で抱える悩みの多くは、生存が保障されているからこそ生まれる贅沢な悩みだったりします。それ自体は決して悪いことではありません。
ただ、その土台の上に立っていることを忘れて、他人との比較の中でしか自分の価値を測れなくなってしまうのは、少しもったいない気がします。
誰かと比べて一喜一憂する前に、まずは今日という日を安全に過ごせていること自体に目を向けてみる。そんな小さな視点の転換だけで、日々の見え方はずいぶん変わるはずです。
現代はヒップホップの歴史・文化を簡単に学べるありがたい時代

僕たちダンサーは、ヒップホップを愛する人間として、今どれだけ恵まれた環境にいるかをもっと自覚していいと思います。
ヒップホップのルーツも、今やネットで検索すればいくらでも知ることができます。ドキュメンタリーも記事も、当時を語るインタビュー映像だって山ほど転がっています。
ダンスイベントやレッスンも各地で開催されていて、先人やプロから直接学ぶことだって、自分が望みさえすればすぐに実現できます。音楽だってスマホとイヤホンさえあれば、いつでもどこでも楽しめます。
昔だったら本場のカルチャーに触れるためにわざわざ現地に行くか、限られた情報源にすがるしかなかったはずです。それが今は、家にいながらにして歴史も文化も学べる。
どれだけ恵まれた世の中なんだろうと、改めて思います。
まとめ
僕たち日本人は、自分たちが享受しているこの環境を当たり前だと思わず、感謝することで、もっと幸せになれるはずです。
今日、明日の生命が脅かされない暮らし。食べ物がある暮らし。そして、遠い異国で生まれた文化の歴史すら、指先ひとつで学べる暮らし。
せっかくヒップホップの歴史や文化全体について、これほど簡単に知ることができる時代に生きているのですから、僕たちはもっと積極的に知識を集めて、文化そのものを深く知り、楽しめるようになりましょう。
それこそが、ヒップホップの5大要素——グラフィティ、Breakin’、MC、DJ、そして「知識」——の、最後の一つなのですから。



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